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正式名称は、真宗大谷派四日市別院。永禄5年(1562)、四日市の豪族・渡辺蔵人統綱は戦乱の世をいとい、出家して法名を「専養」と称した。専養は、山本の虚空蔵寺跡に「専養庵」を結んだ。爾来、代を追うごとに寺勢を増し、寺地も常徳から四日市へと遷移し、寺号も「実相山真勝寺」と称した。
その後、真勝寺騒動が起こり、寛保4年(1744)寺社奉行・大岡越前守忠相の裁きにより真勝寺は公儀に没収され、翌年、東本願寺に下附された。ここに真勝寺は東本願寺四日市別院となり、九州御坊として九州7ヵ国、716ヵ寺の東派寺院の総監を司った。
文化14年(1817)、親鸞聖人550回御遠忌にあたり、両堂造りの壮麗な本堂や山門(県指定有形文化財)を再建した。しかし、慶応4年(1868)、御許騒動により壮大さを誇る本堂は焼失したが、雄大な二重の山門は延焼を免れ、平成16年に市有形文化財に指定された。本堂はその後、明治14年に再建され、現在に至っている。
開祖専養の木像は、本堂右余間に今でも安置されている。
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